曇った夜の空の、隙間から月が時折顔を出す。
墨絵の世界だけれども、
雲の流れを読んでは波乗りして居るみたい。
AMADEUSRECORD BLOG MAGAZINE --- So that you may enjoy the classical music more on the record --- アマデウスレコード、アマデウスクラシックスの総合ブログ。アナログレコードを中心としたエッセイ、コラム。CDレビュー、音楽事情を主体にニュースを熊本から発信。ドギャードなど注目の新進デザイナーズ・ブランドのアクセサリーもご紹介します。
熊本の夜。日中の天気も良く、この数日無かった午後9時を過ぎても暖かい空気。いつに無く暗い通りを一人歩いていたら、正面に何かが光った。
何だろう。
しばらく様子を見ていたら、ほのかに光ってはじきに消えた。それは蛍の輝きのような儚げな、瀕死の呼吸をしているようだった。
Posted via email from 熊本の宙
雨上がりの夜。静けさの中の月。雨雲がちぎれて流れているのが夜空にはっきりと分かるほどです。夜だけれども晴れ(?)わたっているって事かな。熊本の気温は25度、湿度89%。月の輝きが明るいので周囲が実際よりも随分と明るく撮れています。その分、全体がぼやけてしまっているのが残念。月の位置が低めなので、ようやく校舎の影から姿を見せてくれた時間です。
昨晩寝ようかとしていて気がついた月の位置。今夜も同じでしたので撮影にトライ。小学校の体育館のちょうど上で、ぬらりひょんの孫と犬神が闘っている影が映らないかとドキドキしてました。
阿蘇山の噴火と聞いて、多くの人が関心を向けてしまったほど近頃自然災害に過敏になっていませんか。被災地支援には過剰と思える行動をしている熊本だけど、阿蘇の活動には冷静すぎるのかも知れません。『2年ぶりの噴火』に久し振りだな、と言う程度かも知れません。『降灰の確認』は少し警戒してもいいかもしれないと思えます。灯台もと暗しにならないと良いのだけれど。大きなカルデラの底にある熊本ですから、噴火が誘発されれば一蓮托生と言った覚悟もあるようだけど、熊本人気質、火の国の女の性格は、そうした覚悟が根底にあるからかも知れません。
葉桜越しの月。日が落ちたあと夜空を仰いだら煌々と月が輝いていました。撮影している時には気がつきませんでしたけれども、月の上方に星が写っているようです。
暴走族のバイクの音が数台響いて、窓がまだ開いたままになっているのか確認してカーテンを閉めようとしたら通りがとても明るい。月夜だった。時間は午前2時。鍋ぶたがそろそろ下がるような時間に集まって何処へ行くのだろう。明るい月夜で、突き動かされている衝動があるのだろう。日中は25度には成ったと思われる熊本だったけれども、数日前よりは過ごしやすい夜です。
写真は CX4( http://ow.ly/42pB1 )でシーンモードの夜景マルチショットで撮りました。手ぶれを最小限に抑えるために複数枚の連続写真を撮って合性処理をしているようです。肉眼より金色色で暖かい印象に仕上がりました。
歩いての観光ではなく熊本を車で廻ったことがある人は、特に熊本城周辺は道路が歪曲していて向かっている方向が怪しくなる。そう不満を抱くようです。加藤清正は熊本城を築城する時に、最も起伏に富んだ場所を選びました。そして土地を整地するで無しに生かして周囲5キロを超える、お城を造ったのです。記憶の違いでなければ宮城の周囲に匹敵する広大さだと言います。
熊本城の天守、本丸御殿がきちんとカメラに収まる位置からお城に向かって5分ほど歩きました。するとどうでしょう、手前にある櫓に隠れてしまいました。
夜の熊本城。桜祭りのシーズンなどでライトアップされている時と違って、今の時期は上手く撮れない。肉眼では分かるのだけれども、距離感ははっきりしない。熊本城の築城マジックです。 http://amzn.to/endHN7
仕事前に目に入ったのでシャッターを切った、熊本城の夜景です。同じアングルで2枚撮影しましたけれども、どちらもこれといった面白さは感じられなかったのが残念。きちんとピントと露出を合わせないとだめですね。シャッターの瞬間路線バスが横切ったので不思議な感じに揺れているようでしたので面白いと感じたので、こちらを採用。
雨にはなっていないけれども、降りそうな程真っ暗な夜の熊本。右の人差し指が変な感じだと思ったら、爪の端が割れていました。台所仕事してたら自然と割れ落ちるでしょう。違和感はしばらくの辛抱だ。 - from Brightkite
玄関を出たら、見上げた宙に半月が鮮明にほほえみかけていた。
宵の表は、秋と言うよりも冬支度に入ったことを感じられる風が吹いています。
屋内は暑くも寒くもないほど良さで、 午後5時廻って目が覚めたこともあって、いつものようにおへその出た服装。
それを見て、微笑みながら月が、白いお腹にそっとベールをかけてくれた。
午前0時から、今夜も生でさだまさし。今日は熊本生放送。火の国熊本さだ馬刺し。昨日は夜の仕事。バスを降りたらテレビカメラで写されていました。
秋分の日。昼と夜が等しい日。せっかくの日なのだけれども、今日は太陽の出入りを観ることが出来ませんでした。
午後6時、既に陽は沈んだあと。明日からはドンドン早く夜が来るんですね。
もう、今夜当たりから魔女達は嬉しくて宴会を開いていることでしょう。魔女や魔物が無礼講のどんちゃん騒ぎを催す「ワルプルギスの夜」は、ハロウィンの夜。でも、通りはハロウィンの飾り付けからクリスマスへ移りやすいようなムード。近頃では毎日のようにパーティを開いているんじゃないかしら。
ムソルグスキーの管弦楽曲「はげ山の一夜 a Night of Bald Mountain 」は、ワルプルギスの夜を音楽で表現した“描写音楽”です。バロック音楽の時代は多くが描写音楽であったものが、音楽が庶民の楽しみへ移行していくと次第に衰退。なぜだろう。貴族達は屋敷や部屋の中に自然の中に暮らしているような装飾を施していますね。ベートーヴェン以降は、そういうスタイルは好まれなかったのかしら。
蒸気機関が市民生活を変え、自然環境を加速度的に変えていこうとしていた“ロマン派後期”になって、心情を音楽に描写しようとしていたものから今で言う映画のサウンドトラックのように映像が浮かぶようなストーリー性を音楽が再び持つようになって行きました。
ムソルグスキーの「はげ山の一夜」は革新的な音楽。曲の冒頭のざわざわとした不安感を促す雰囲気は“作曲の作法”を打ち破っています。作曲されたのは1860年。咸臨丸が太平洋横断に成功した、この年は世界が変化を使用と様々なざわざわが立ち起こっていた時代でした。
月が反旗をおろしていたのでしょうか。冴え冴えとしていたけどとても低い位置に出ていました。
熊本では一昨昨日の夕暮れには、つくつくほうしが時を忘れて鳴き出すほど午後には35度近くなる暑さが帰ってきています。深夜から早朝にかけては充分に秋の気候なので、恐らく寝冷えでもしたのでしょう。充分に睡眠はとったのに、昨日は午前9時半に目覚めたときからの頭痛は治まることはありませんでした。お昼前から午後3時半過ぎまで再び寝てしまったほど、まるで梅雨から夏へ移るときに体調を崩しやすくなるような感じです。
午後6時、名探偵コナンを観ながら軽食を摂ったら少し落ち着きました。窓の外のみたら星と月が並んで出ているのが見えました。
何か霊感のようなささやきを感じたら、体調が今ひとつだからと無視して済ます事が出来ないような、胸の内にそわそわとさせるものがあってカメラを手に表を散策。2階の窓から見えたときもずいぶんと三日月は下の方でしたから、地上からは建物で遮られて見えていた方向も見失う感じです。少し歩いて建物の間に月を見つけることが出来ましたので撮ってみました。
どうも体調が不安定だったのでしょう。やっぱりぶれていましたね。星が右下に流れています。その為三日月も実際よりは健康的です。
たいした写真とは思えなかったんだけれど、敢えて公開。すると思わぬ反響が届きました。
月がとてもさびしそうにしてる。めーてるさんは、世界とお話出来るの? 悲しげで痛々しい光。
何か心の中で響いたものは、とにかく発信してみるものですね。体裁なんて構わない。心の中の言葉は、どこかで誰かが観ていてくれるものですね。それに軽い散策が身体の緊張感を解いてくれたようです。万全ではないですけれども、何一つ集中できなかった半日とは違ってこうして書く事が出来ています。
| 2010年09月08日 08:29 【9月8日 AFP】反イスラム感情の高まる米国で、2001年9月11日の米同時多発テロから9年となる11日にフロリダ(Florida)州にあるキリスト教福音派の教会がイスラム教の聖典コーランを焼却する…… ≫続きを読む |
9年目の「9・11」となった日。何かしらの言葉にしておこうと思っていたのですが、結局はこれと思えることは出来なかった。でも、月と星の写真に素敵なメッセージを頂いたことがとても嬉しいものとなりました。身体を充分に休めることも出来たと思えるし、今日の日をありがとう。